使おうAED 減らせ突然死

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AED10年目の想い

三田村秀雄写真
三田村秀雄 MITAMURA hideo
  • 減らせ突然死実行委員長
  • 国家公務員共済組合連合会 立川病院 院長

2004年5月27日、大阪の高校で行われていたスポーツテストの1500m走で、17歳の高校生H君が倒れ、そのまま逝ってしまいました。翌週の6月2日、今度は札幌の14歳の中学生S君が、やはり体育の1500m走の途中で倒れ、またもやあっという間に逝ってしまいました。ちょっと前まで元気だった人が、突然逝ってしまう、何の準備期間もなしに、それが突然死です。

あまりの突然さにどちらのご両親も放心状態になったといいます。何があったのだろう、何がいけなかったのだろう。S君の両親がインターネットで「突然死」を調べていた際、その1年前にAEDの一般解禁を訴えた拙著「心臓突然死は救える」に出会います。そのカバーには「救命のグローバリゼーションから立ち遅れた日本。世界標準の救命手段を拒む旧来の体制。国民の有事に対する危機管理はこれでよいのか?救命への規制緩和を世に問う書」とあります。強烈な文言ではありますが、その本が出版されて1ヶ月ほどして、厚生労働省もやっと真剣にこの問題に立ち向かうことを決めました。ですが「一般市民がAEDを用いることは、医師法違反にはならないものと考える」というお役所的解禁のお墨付きを厚生労働省が出したのは、2004年7月1日のことでした。H君にとっても、S君にとっても、そしてご両親にとっても、ほんの数週間の行政の遅れが運命を分けたと思えたに違いありません。

それでも、私の本を読んだ札幌のS君のご両親は学校を訴えるどころか、反対に学校にAEDを寄贈し、その後も命を守る会「絆」を立ち上げて、命の大切さを訴えています。一方、大阪のH君のご両親も子供の友人達と集めた募金を学校に寄付し、学校は救命のモデル校になりました。その話を聞いた近くの高校の卒業生達が卒業記念にAEDを学校に寄贈したのですが、それが翌年、胸にボールを受けて心停止に陥った17歳の高校生T君を救うとは誰が予想したでしょう。救命の連鎖は全国に拡がりました。今や心臓突然死になりかけた人に対して、現場の目撃者がAEDを使えば半数近くの命を救えるのです。

2014年の今年、まさにAEDが日本に導入されてから10年目を迎え、AEDがここまで普及したことに万感の思いがあります。その一方で、せっかくのAEDが十分に活かされないまま一瞬の間に消えてしまう命の何と多いことか。このままではいけない、そんな気持ちからこのプロジェクトを立ち上げました。今一度、初心に戻って、皆の知恵と、熱意と、愛情と、勇気を寄せ合って、救えるはずの命を救う世の中にしようではありませんか。減らせ、突然死、使おう、AED!