


福田 瑞穂 学生
2013年10月23日
私は、リハビリやトレーニング、緊急対応を行うトレーナーというものをやっていて、7時からの早朝練習が終わった昼頃、走っていた男性が、突然ぱたりと倒れました。
それを目にした瞬間私や、他のトレーナーは走り出し、彼の無事を確認しにいきました。
うつぶせに倒れており声をかけてもきちんとした反応がないので、危ぶんだ私は、彼を仰向けにしました。
間もなく、彼の顔から色が消えていき、そして、固まりました。
まるで魔法にかけられて石像に変えられたかのように。
(これは、本当にやばい)と考えた瞬間私の体が動きました。
「AEDと救急車連絡!」仲間に投げ捨てるように伝え、心に決めました。絶対絶対助けないと。
AEDを開け、パッドを取り出したとき手が震えているのに気がつきました。 練習のときとは全く違う雰囲気に戸惑いました。 怖いんだ…自覚しました。 ただ、得体の知れない「死」と向き合うことに恐怖を覚えたのかもしれません。 私の手はこんなに動かないものだったのか、と一瞬驚愕しましたが、一気にAEDのパッドの袋を破りました。 全くよくない状況だということだけはわかりました。 力の弱い私は全身を預ける勢いで心臓マッサージを行いました。 骨なんか折れたっていい、助かるなら。 私の場合、骨を折る勢いでやらないと助からないかもしれない。 すべての力、意識、全身全霊をこの手にかけていました。
他の救助者と交代しながら、倒れた彼にできるかぎり大きな声で、励まし続けました。
彼の意識がなくとも、彼は聞いていると信じていたからです。 「大丈夫」「もう少し」「がんばって」「絶対助かるからね」笑顔で、普段話しかけるように、試みました。 私の声がこわばっていたり、弱々しかったりしたら絶対だめだと思いました。 先導して救助活動を行っている者として、私はこのように判断したのだと思います。
除細動を行っても、心臓マッサージを何度しても全く反応がなくても、彼の名を呼び続けました。
絶対助ける。 絶対私が助けるんだ。 彼だけでなく、自分も救助者も奮い立たせるために。
300回ほど心臓マッサージを行ったときに救急車が到着しました。 心臓マッサージは手首を曲げて行うため、腕時計の跡がくっきり残っていたのを覚えています。
秋なのに、汗だくでした。 その人のことしか、考えることができませんでした。 私は、彼を助けること以外に脳が働きませんでした。 病院で何時間も待ちました。 その後、ベッドで彼が、弱々しくもしゃべり、笑っているのを見て…そこではじめて、心から安心しました。